こころの法話集226
お話226
地獄極楽に眼を開け
芦原町轟木・浄光寺住職 高木昭州
今こそ、横川法語に耳を傾けてみたいものです。「まず三悪道を離れて人間に生まるること大きなるよろこびなり、身は賎(いや)しくとも畜生に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼に勝るべし。心におもふことかなはずとも、地獄の苦に比ぶべからず。…この故に、人間に生まれたることを喜ぶべし…」
有名な法語書き出しの一節であります。この法語の中で、源信僧都は、私たち人間のあるがままの生態を見届けられ、ただ単に人間という枠の内で人間をみられたのではなく、人間というものを浄土と地獄の中に織り込んで、地獄に落ちて行く生き方を厭(いと)い、浄土にたかめられる生き方を欣求(ごんぐ)する気高い方向を適切に指示して下さったのであります。
一つ間違えれば、どこへ流れつくやもしれない私が、今日は地獄餓鬼畜生の世界を超えて、人間として生まれた喜びを示されてありますが、その喜びは人間としての享楽的な喜びではなく、人間には浄土を願うことのできる向上の素質と浄土への機縁とが恵まれている
ことに気づいた喜びであります。
浄土(真実の世界)を忘れ、地獄に気付かず、人間の過剰な自信におぼれた人間社会の結末は、悲惨非情な地獄の様相を呈することは、当然の理でありましょう。次の世代を育てる大人自身が今一度、地獄極楽に眼を開きたいものです。