こころの法話集242
お話242
お寺は血と汗の結晶
清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲
「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」「花の雲鐘は上野か浅草か」。日本人の生活とお寺は密接に結びついていました。
日本の寺院は欽明天皇のころ仏像伝来のとき、大臣の蘇我稲目が自分の住宅を寺として向原寺としたのが最初でした。昔は寺の多くは時の権威者や為政者、長者がつくりました。
この人たちを外護者(げこしゃ)といって、仏教を盛りたてる役目を果たしました。
浄土真宗では念仏一門の信徒がその力を結集し、ほんとうに生きる道を聞くための道場としてたてられ、自分の聞法のために、またみ法が多くの人に伝えられるよう「教化伝道の場」としてお寺を護持してきました。
お同行のためのお寺ですから、建物の正面にお同行が出入りする階段の部分がつきだしており、二本の柱に支えられた屋根がそれを覆っています。これが「向拝(ごうはい)」といって真宗のお寺の特徴です。
内部に入りますと、多数の念仏者が聞法と仏徳賛嘆のために集会する大きな畳敷きの外陣があります。浄土真宗のお寺はお同行の集会から始まりました。道場から寺院化していくにつれて、お同行が資力をだしあって建設してきた血と汗の結晶で、柱にも縁板にもご先祖の息づかいがしみこんでいます。わたしたちはご先祖のお寺をまもって次代に伝えねばならないと思います。