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こころの法話集271

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お話271

「人生苦なり」を知る

小浜市遠敷・西光寺前住職 吉田俊逸

み仏様によって見抜かれた私は煩悩具足の人間であります。親鸞聖人も煩悩具足の凡夫といわれています。煩悩とは身を煩わし、心を悩ますものであり、具足とは欠けることなく全部もっているということです。
煩悩は八万四千の煩悩といってたくさんありますが、根本的には、六大煩悩といわれています。それは貧(とん=むさぼり)瞋(しん=いかり)癡(ち=おろか)慢(まん=たかあがり)疑(ぎ=うたがい)悪見(あくけん=まちがったかんがえ)の六つをいうのです。私たちの人間生活は、これらの煩悩の中を流転しているのです。またその上に五欲という欲望が乗りかかり、ますます複雑になっているのです。
五欲とは-睡眠(すいみん)欲=できるだけ楽をしたいと思う-飲食(おんじき)欲=おいしいものを食べたい思い、釈尊は食物は薬のごとくちょうだいするものと教えています-財(ざい)欲=財産はあればあるほどこれでよいと満足しないで不満をもつ-色(しき)欲=性欲はそのものは善でも悪でもない、この性を欲望満足の道具にするところに煩悩となる-名(みょう)欲=自己中心の考え方で、他人を支配しようとする欲望です。
そしてこの五欲を満足することが人生の目的だと錯覚するのです。そしてこの欲望を満足することが人生ではありません。この欲望の満足とはつかの間の快楽であり、恐ろしいことにはさらに一段と激しい欲求となってくるのです。そしてそれがかなわなくなると直ちに苦となって表れ、全く麻薬中毒的な人間、欲望のみに生きる人生となって、絶対に苦界からは抜けられないのです。

お話271

私たちの本当の幸せとは人生は苦なりとあきらかにすることです。そのためにみ仏の教えを聴くことなのです。それはあらゆる苦悩を縁にして、常にわが身を省みて感謝の日々を送ることができるのです。欲に生き、欲とともに死すべき私がみ仏の大慈悲に抱かれていることが知れるのです。
九条武子夫人は「いだかれてあるとも知らずおろかにも我反抗す大いなる手に」と歌っています。

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