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こころの法話集272

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お話272

両親の恩に頭垂れる

小浜市遠敷・西光寺前住職 吉田俊逸

正信偈の中に「弥陀仏の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもって難し、難中の難、これに過ぎたるなし」という文で依経段をしめくくっていられます。これは「如来の真実の願いの働きであるお念仏は邪見(恩知らず)と驕慢(おのれを知らず)で、悪をつくるしか能のない私は、それをいただいて喜ぶことは大変難かしく、難かしい中にもこれほど難かしいことはない」といましめられているのです。
私の友人で本願寺伝道院の同じ講師をしていられる寺沢先生は、中学一年生の時母を結核でなくし、また翌年父も母の跡を追うようにして去ったのです。食べ物にも着る物にも不自由をした時代に両親を失い、幼い妹二人とともにとり残された不安は本当に例えようもないほどでした。
しかしなんとかして生きてゆかなければならないと無理をしたあげく、寺沢先生も結核でたおれ、三年間お門徒や皆様のお力にて療養に努め、昭和二十九年に住職を継職されたのです。しかしそれまでの空白が長く、住職になっても何と勉強してよいのか、何をしたらよいのか悩まれたのです。
そして恩師であるK先生を訪ねられ「住職になるため何から始めたらよいでしょうか」とお尋ねしたのです。先生は「親を拝みなさい、私は親不孝者でしたと親の前に心から頭が下がったら住職になれます」との答えでした。寺沢先生が求めていたのは「正信偈を学びなさい、御聖経を読みなさい」とのご指導と思っていたが一切なかったそうです。

お話272

苦しかった終戦直後、子供三人を残して世を去った親、悲しみを通りこして恨みとお粗末な言葉を口にしていた私、初めは腹がたちました。しかし今になり、K先生の言葉の奥を知るとき本当に済まないと思います。後に残された子供より、子供を残して去って行かねばならない親の心はどのように痛ましいかと思いますとき、お念仏とともにおはずかしいのいっぱいです、と。

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