こころの法話集300
お話300
煩悩こそ人間の資格
大野市伏石・常輿寺住職 巌教也
親鸞聖人のお言葉を聞き書きした「歎異抄」という本の第九節に「煩悩具足の凡夫」という言葉が出てまいります。
実はこの本の第十九節に当たるあとがきの中にも「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界」という言葉があって、その第九節と第十九節は相応じて「ただ念仏のみぞまことにておわします」という、親鸞聖人のいのちの言葉にふれるのであります。
逆説的にいえば、煩悩あればこそ私たちは人間の資格があるのであります。そしてその煩悩こそ念仏を生み出す母体であると知らしめられて、はじめて私たち人間は安心して悩んでゆくことができ、そして心おきなく念仏申すことのできる浄土真宗の教えでありました。
この第九節において「親鸞も同じ悩みをもっていた」と告白され、あとがきにおいて「如来よりたまわりたる信心なり、さればただ一つなり」と友・同行と手をとりうなずかれて「煩悩具足の凡夫」の代表として「親鸞一人がためなりけり」と、本願のまことに帰命されたのでありました。
だから南無阿弥陀仏のお念仏は、そのままがお浄土の言葉であり、そのたまわりたる信心こそお浄土の心であり、そして歎異抄の第十節をしめくくって「念仏には、人間のはからいをまじえないのを本旨とする」(意訳)親鸞聖人のおあじわいでありました。