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こころの法話集299

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お話299

人間超えたはからい

大野市伏石・常輿寺住職 巌教也

親鸞聖人のお言葉を聞き書きした「歎異抄(たんにしょう)」という本の第八節は「念仏は、これを称える行者にとっては、行でもなく善でもない」(意訳)という言葉ではじまります。
そして「わがはからいで修行するのでないから非行というのであり、またわがはからいでつくる善根でもないから非善というのである」と続きます。
普通一般では、行者という言葉より、信者という方が多く使われていますが、この二つの言葉には、微妙な違いがあるようです。
その行者の行には、歩むという意味があります。からだ全体の働きです。そして信者は心の状態に限定されるようです。そしてその「信」の文字は、状況によっては一転「疑い」に変化します。これが「自力の信」の特徴であると親鸞聖人は指摘されました。
だから、この第八節の聖人の結びの言葉は「これは全く人間のはからいを超えた他力のはからいによるのであるから、行者にとっては非行・非善である」と申されました。

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だから、これまた一般に使われる信仰という言葉も、実は仏さまからたまわった信心の智慧(ちえ)を仰ぐのでありますから、信受・信知させていただく、それは「他力の信」でありました。
そして如来からの廻向(えこう)によってのみ、この私が廻心することの出来た「他力廻向」の真実の信心でありました。

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