こころの法話集384
法話384
洞察と内省大切(喜びに満ちた仏への道へ)
坂井町蔵垣内・勝林寺住職 佐々木教応
往生
私たちの人生を静かに振りかえって見ますと、行き詰まりの多い、思い一つもかなわないところではないでしょうか。思いが多ければ多いだけ、また行き詰まりも多いということでありましょう。そこに自ら苦しんでいかねばならん人間の苦悩があるのでしょう。
また人は皆この世に生をうけて来たのですが、生ある者は必ず死に帰す、という人生の常道からはだれ一人のがれることは出来ません。死という荷物を背負って苦悩の山坂を越えて行かねばならんのが、いつわりない人間の姿であります。
特に現代は、いく所まで行った、くる所まで来た、という感じがいたします。もうこれ以上新しく開かれた世界があるのだろうか。科学の世界は、地球からさらに宇宙へと限りなく発展し、それとあわせて人間の幸せも限りなく向上するかのような考えにおちいりやすいが、どうでしょうかね。
お互いに自己に対して深い洞察と内省が大切ではありますまいか。往生浄土を語る教えにあっては、持に往生という言葉は、常に浄土という言葉と離れず一つになっているというところに、往生という言葉のほんとうの意味があるのでしょう。
人間の知識によって創造される世界でなく、仏の知恵と慈悲によって仕上げられた浄土の世界、しかもそのお浄土は私の向かう所、帰る所、生きとし生きるすべてのものが救われてゆく世界であります。
行き詰まることのない浄土への歩み、死によって終わりを造げる寂しい人生ではなく、喜びに満ちた仏への新しい道が、往生と言えるほんとうのこころであります。日常会話の中で、あなたも往生ね、私も往生よ、と互いに語り会える人生にしたいものであります。