こころの法話集423
法話423
母すなわち仏さま(法義賛嘆の雰囲気に育つ)
美山町獺ケ口・正玄寺住職 岩見紀明
俳句と信仰(一)小林一茶の場合
「ととさんやあのののさんがかかさんか」
小林一茶の句です。一茶は三歳で母を亡くしました。しかし、一茶には母を慕って書いた文や旬は「亡き母や海見る度に見る度に」という旬以外には見当たりません。
たぶん口にふくんだ乳の甘さの感覚だけが追憶となって残っている程度ぐらいでしょう。なぜなら物心つく前に母を失っていたからだと思われます。冒頭の句は、一茶が八歳のときまま母がくるまでの約五年間、父と祖母との三人暮らしのころを追憶して詠んだものと思います。
たぶん、妻を亡くして育児に困った弥五兵衛が、むずかる一茶を仏壇の前で「ほら、坊のお母さんが見ておるよ」などと言っていたにちがいないと思われます。だから一茶は母というとき、すぐ仏(のの)さまを思いだしたのであろうと思われます。
「蓬莱に南無南無という童かな」という句があります。対象こそ違っているが、小さな童たちがもみじ手を合わせて「南無南無」といっている様子を見て、幼き日を思い出していたのだろうと思われます。
一人の人間の思想や人格を考えるとき、その人の生まれ育った環境をぬきにして語ることは出来ません。一茶は信濃の柏原で生まれ、そこで死にました。柏原はほとんどが真宗門徒です。いろりを囲んで法義賛嘆した「お講さま」のある雰囲気で育ったのでしょう。「御報謝と出した柄杓(ひしゃく)へ桜かな」この句が、この辺の事情を語っているようです。