こころの法話集425
法話425
愚かなり権威主義(判断できぬ人間的価値)
美山町獺ケ口・正玄寺住職 岩見紀明
俳句と信仰(三)小林一茶の場合
「下々も下々下々の下国の涼しさよ」
「下座の楽」を詠んだ一茶の句です。古来より、楽は下にありといいますが、名利を離れて自然にふるまう人間こそ本当に気ままなものであります。
最近の流行語に「ブリッ子」というのがあります。かわいこぶっているとか、利口ぶっているという意味です。ぶるといいますのは、それらしくよそおうとかそれらしく見せかけるということです。つまり自分にないものを、あるように見せかけて学者ぶるとか善人ぶるという意味です。
一般に「ぶったやつ」といって、人から敬遠されたり嫌われたりします。したがってぶっている人は、他人のちょっとしたなんでもない言動にこだわり腹をたてるのです。なぜなら、あの人は私を軽べつしているのではないかと疑ってしまうのです。
といいますのは、自分がいつも、そのように人間を上下に眺めて軽べつをしているから、他の人もそうではないかと思うからです。相手が自分より下だとか弱い立場だと徹底的に攻撃し、逆に強い人だとすぐ服従してしまうのです。ですから他人を見ると学歴があるかないか、肩書が良いか悪いかという二価的判断しか出来ません。
こういう人を権威主義的人間と名づけています。自分の生活に中心となるものがありませんから、いつも構えていなければならないのです。「春立つや愚の上にまた愚にかえる」自己の愚を認め人間的価値に価値を認めない一茶の心境が「下座の楽」の句によくあらわれていて味わい深いものです。