こころの法話集102
お話102
人に優劣つける「慢」
坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹
幸福を防げるもの
きょうは、煩悩の代表の中から四番目の「慢(まん)」について考えてみましょう。
慢という字は、驕(きょう)慢、怠慢、自慢などと使われるように、他を侮り、自らおごりたかぶる心であります。そこには、自分と他人を比較し、比較の上に喜びを感じようとする姿勢が見られます。
「あの人よりは、まだ私の方がまし」と、人の行動を探っては、それと比較して安心しようというやり方です。
「人のふり見て我がふり直せ」というように、他人の良い所を見て、自己をふり返るのなら、良いのですが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式に、悪い方に右へならえして、「みんながしているから自分も」と、なりやすいのが、私たちのありさまです。
それと、もう一つ陥りやすい欠点は、自分の目で自分と他人を比較しても、結局は自分をひいき目にした結論しか出ない、ということです。従って、第三者の目が当然必要になってきます。
歎異抄には、「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。その故は、如来の御心に善しとおぼしめすほどに、知り徹したらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ」とありますが、如来の御心に比べれば、私たちは、皆凡夫。愛すべき人々ではないでしょうか。
ともかく、人に優劣をつけ、その比較の上に、一喜一憂するのではなしに、今日ある私の命の中に、喜びを見つけようではありませんか。