こころの法話集103
お話103
「仏智疑う罪ふかし」
坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹
幸福を妨げるもの
きょうは、煩悩の代表の中から、五番目の「疑(ぎ)」について考えてみましょう。
疑とはうたがいのことで、仏教の真理に対し、心がためらい、決定しないことを指すのですが、一般的にも、疑いが苦悩の原因になることがありますね。
例えば、病気になって医師にかかるとき、私たちは全幅の信頼をおいて診てもらいますが、もし、疑いをもっていたらどうでしょうか。病気の苦しみばかりか、疑いによって、余計苦しみが増えるようです。
それとは逆に、心から信頼できる医師に診てもらうことができれば、たとえ重病でも、どんなにか、心が安らぐことでしょう。
仏教では、仏さまのことを尊称して医王と呼びますが、これは、医師が体の病を治すのに対し、仏は、心の病を治す、名医だからでありましょう。
そして、名医にかかって、病を治す秘けつは、その指示に従い、我流の治療法は、ひとまずおくことであります。

和讃には「仏智うたがふつみふかし」と、述べられてありますが、名医にかかりながらも、その教えに従わず、南無阿弥陀仏の薬も飲まずして、「どうもまだ、安心ができませぬ」と、不平をこぼしてはいないでしょうか。
どんなに疑っても、疑い得ないものを知り、それに身をゆだねることのすばらしさを知りたいですね。