こころの法話集111
お話111
救って下さるお慈悲
坂井町御油田・演仙寺前住職 多田淳政
私にとってのお念仏
私たちはお念仏をいただいている身です。しかし、お念仏とは一体何でしょうか。この私自身にとって何でしょうか。
念仏は、となえることによって、何かご利益をもらおうとする呪(じゅ)文でもないはずだし、また念仏して死者にたむけようとする自力的なはからいでもないはずです。
お念仏は如来さまのお名前でありますが、そのお名前の中には、この私をお救い下さる絶対の大慈悲であるという意味が含まれています。したがってお念仏は仏さまの慈悲の働きであり、この私を呼ぶ、お呼び声でもあります。それがいわゆる他力ということでありましょう。
妙好人才市さんは、「他力とは、わが身に来たことを他力という」と言っています。それは遠い所にあるように思っても、実はこの私の身に来て下さって、私を明るく照らし、私を温かく包んでいてくれるように、お念仏はこの身について離れて下さらぬお慈悲の力であります。

したがって、何の力も無い、煩悩にあけくれている私は、このお慈悲にお任せせざるを得ないはずです。そのお任せした喜びの心から出るお返事がまたお念仏なのです。
因幡の源左さんは、「親さまに、はいとお返事をさせてもらやあ、事あすんどるがや」と言っています。