こころの法話集121
お話121
信心あれば条件なし
鯖江市戸口町・乗誓寺住職 鎌数静雄
念仏
「念仏」とは称名念仏のことで、口に南無阿弥陀仏を称(とな)えることをいうのです。称えるためには、心に仏を念(おも)う信心が無けねば称えられません。幼い子供が「お母さん」と母の名を呼ぶのは、子供の心の中に、やさしい母が生きているからでしょう。
今それと同じで、あさましい私たちの心の中に、仏心が入り満ちて下さいますと、それが口にあらわれて、南無阿弥陀仏と、念仏が出て下さるのであります。
ですから、念仏を称えるためには、何の条件も示されてありません。称える数も示されてありません。幾声でもよいのです。どこで称えてもよいのです。
また何をしている時でもよいのです。朝でも夜でも、いつでもよいのです。また称え心にも用事はいりません。うれしい時にも悲しい時にも、そのままにただ称えればよいのです。

それはなぜかと申しますと、念仏は助かるための条件に称えるのではないのです。今は、阿弥陀如来に救いとられた喜びが、口に称名念仏となって出て下さるのですから、念仏の出る人はもはや一人ぼっちではなく、阿弥陀如来と二人連れになった姿であります。
また、称名念仏は最も美しい仏恩報謝の行だと申されています。一声でも多く称えることが大切であります。