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こころの法話集257

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お話257

ミミズと絹の座布団

清水町島寺・浄福寺住職 藤井信哲

蓮如上人の御文章の白骨章は名文として古来有名ですが、そのなかに「我やさき、人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれ先立つ人はもとのしずくすえの露よりもしげしといえり」とあります。その意味は私が先か人が先か、きょうかあすか、いつの日か、早く死ぬ人遅く死ぬ人など、しずくや露のように前後の定めなく散っていく-ということです。
「某さんも亡くなった。順番が近くなってくるのう」「ホンマや、いつも人や先、人や先と思っているけどもヨ」(笑い)ご法事のときこんなお話をよく耳にします。
「うららは横着者やで、極楽へいくというても死にとうないもんね。老少不定じゃ、まわりの若い者が死んでも、うらは残ることに決めてるもんね」(笑い)「ご院さん、こんなのがいるで百の説法も屁(へ)ひとつじゃあ」(笑い)「わしも同じやがな」「ご院さん、ホンネいうたらあかん。商売にならんじゃろが」(笑い)「ご開山(親鸞聖人)も同じこというておいでるから、いいんヨ」「ヘエー。ホントかね」
そうです。歎異抄のなかのお言葉で「苦悩の旧里(ふるさと)はすてがたく、いまだうまれない安養の浄土が恋しくないのは、煩悩がさかんなためです」とあります。苦悩のこの娑婆(しゃば)ははなれたくないのですが、それでも「娑婆の縁つきてちからなくしておわるとき、お浄土へ必ず参る」のであります。

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しかし。しかしです。「阿弥陀さまはいそいでお浄土へ参りたいこお心がないものを、ことにおあわれみになる」のであります。このことを福井県出身の大江淳誠勧学は「泥のなかのミミズは絹のざぶとんにのせてやっても、泥のなかが恋しいのである」とお教えです。だからこそ凡夫とよばれるのであります。

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