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こころの法話集274

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お話274

「五眼」で浄土を見る

小浜市遠敷・西光寺前住職 吉田俊逸

大無量寿経の中に「五眼の説法」をしていられます。
-肉眼(げん)で人間の目、私の目です。人間の眼は光がないと見ることができません。しかし色を識別しまた色と味とを円通することができるといわれています。イヌやネコの目はやみの中で見えても色の識別はできないそうです。しかしいかに識別する能力があっても浄土や仏を見ることができません。そのため「五眼の説法」を説かれているのです。
-天眼です。天人の目ということで、天上界を説かれているのですが、これを天面的に考えますと、人間世界に地獄の世界も天上界もあるということです。しかし、いかに天上界の目をもっても浄土や仏を見ることができないと説かれています。
-法眼です。芸術の目とでもいうのでしょうか。例えば大きな富士山を小さな画布に描き本物の富士山のようだと眺めているのもまたこの目です。想像の目かもしれません。けどもこのような目ではやはり浄土も仏も見ることができません。
-慧(けい)眼です。知恵の目です。大経には「慧眼見真、能度彼岸」とあり、知恵の目では真実を見ることができ彼岸をわたることができる、とあります。親鸞聖人の大師号は「見真大師」です。大師とは日本国民を代表する指導者の意であり、見真とは真実を見るということです。仏の知恵によってこそ真実を見ることができるのです。それによって浄土も仏も見ることができるのです。

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-仏眼です。私たちが浄土に往生したとき仏眼を得て、浄土も如来も自由自在に見ることができるのです。釈尊は眼耳鼻舌身という五官が互いに円通して、どこからでも浄土や仏を見ることができるといわれています。親鸞聖人の化身の弥陀観こそ、現生の私にすべてのものを私の喜びと反省と慙愧(ざんき)に結びつけさせて頂くことこそ「現生正定聚」のすがたではないでしょうか。

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