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こころの法話集285

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お話285

心の中に二つの自己

春江町千歩寺・願教寺前住職 中臣徳恵

私どもは心の中に二つの自己があります。一つの心は、貪慾(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)、そねみ、うたがいなどあさましい自己、この煩悩にとらわれているのが原因で迷いの世界をへめぐるまことに困った自己であります。
ことに現代のような科学技術の発達によって、昔とは大変な異なった恐ろしい犯罪をつくる環境の中に生活しています。悪い縁に誘われると、とりかえしのつかぬ結果になります。日々伝えられる今までにないような犯罪の横行する世の中ですが、他人を笑われません。私どもも、もし悪い縁によって、どんなことをするかわからぬ自己であります。
ところが真実の宗教のおかげによって、育てられた第二の自己は、あさましい煩悩のやまないまま、一度一度転化(そのまま、心がかわる)されて、これではならぬ、慎まねばならぬ、ありがたい、もったいないと、日々の生活が生まれるのです。

お話285

親鸞聖人は「本願を信じ。念仏申せば、必ず仏と成る」と教えてくださいました。一切の功徳にすぐれたお念仏の心に生かされた第二の自己は、この人生、娑婆(しゃば)世界に生活していながら、仏に等しい(同じではない)正定聚(しょうじょうじゅ)の尊い第二の自己とならせていただき、歓喜(かんぎ)のよろこびと懺悔(ざんげ)の慎みの生活に恵まれます。
勇気が出て、この人生を強く明るく前進しようと、世のため人のためにとする第二の自己が生まれるのであります。常にお念仏しながら、第一の自己が出ないように、ありたいものです。

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