こころの法話集292
お話292
「不思議」という意味
大野市伏石・常興寺住職 巌教也
親鸞聖人お言葉を聞き書きした「歎異抄」という本の第一節は「阿弥陀仏の本願の不思議にたすけられて…」(意訳)という言葉で始まります。
普通一般に使われている不思議という言葉は、何か奇跡とか魔法のように受けとられていますが、実はその不思議という意味を受けとるのは、私たち人間の側にしかないのだということをまず考えてみたいと思います。
たとえば奥越高原牧場の牛は、雪解けの青い水が黒い大地にしみこんで、緑の草が生えるころに放牧され、その牧草を食べて白い牛乳を出します。その新鮮な牛乳を私たち人間が飲んで、健康な赤い血になるということ、それはあたりまえのことだといってしまえばそれまでですが、青・黒・緑・白・赤という自然の変化の働きに、フッと目を見はり不思議だナアと人間の知識を超えた自然の摂理に、静かな感動がこの私自身のからだの中からわき起こるという。そんないのちの不思議に出遇(あ)うということこそ、人間だけが持って生まれた宗教心というものではないでしょうか。
「珍しいことだ、凡夫が仏になるということは」といったのは、源左という妙好人のフッともらした感動の言葉でありました。