こころの法話集294
お話294
人間の善と悪の解釈
大野市伏石・常興寺住職 巌教也
親鸞聖人のお言葉を聞き書きした「歎異抄」という本の第三節は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の言葉で始まります。
ところで、あるお寺の掲示板で、私はこんな言葉に出合いました。それは「日本人は一億総裁判官。他人は有罪、自分は無罪」と…。
そこで私たちは今お互いに、一体何が善で何が悪だといえるのかということを問い直してみる必要があるのではないでしょうか。なぜならその善と悪を、自分の損得やら都合だけで解釈するのではなく、また一般的な倫理とか道徳のものさしで測るのでもなくて、実は人間性の本質的な自覚にかかわる問題でありますから。
その自覚も一人ガッテンの浅いそれではなくて、真実の教えの鏡に映し出されて、はじめて目を覚まされるという深い意味の自覚を問題とするからであります。
ここでもう一度「歎異抄」の第二節にかえって、親鸞聖人のお言葉をいただきますと「…総じてもて存じせざるなり」。つまり私たち人間の分別でもって、善とか悪とかを決定することのできないのが人間の本音ではないかとおっしゃているのです。だからこそ私たちが、その人間性の底のない深さを見せつけられた時、ある方は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」のこの言葉こそ、なにものにもまさるあたたかい言葉であると、しみじみと語って下さいました。