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こころの法話集418

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法話418

生き抜いた確かさ(物事に動じぬ老人たち)

坂井町御油田・演仙寺住職 多田文樹

もういつお迎えが来ても

かつて、結婚式の司会をした時気付いたのですが、はれの式には、使ってはいけない言葉があるそうです。たとえば「返す」とか「戻す」とか「重ねがさね」というのもいけないそうですね。ちなみに式の終わりは「お開き」と言います。「終わり」と言うのは縁起が悪いのでしょうか。
そこには、忌まわしいものは避けて通りたいという願いが働いているようですが、少し神経質過ぎるように思います。それと対照させてはいけないかもしれませんが、高齢者の言葉には、何ごとにも動じない確かさがあるようです。
私は仕事がら、高齢の方とよくお話をするのですが、こちらの方から「まだお若いのですから、お体を大切に、長生きして下さいね」と、いたわりのつもりで話を向けると「いえいえ、こんな年寄り。もういつお迎えが来ても仕方ありませんのに、不調法なことで」と、お念仏を申しながら、ため息とも喜びともつかぬ言い方で、しみじみと話されるのに接します。
周囲が「そんな縁起でもない、そんなことおっしやらずに」と打ち消しても「いえいえ、死にたいとは思わんけれど、死なれんのも業じゃの」と、やはり自分自身で、しっかりしたものを持っておられるようです。
長い人生を生き抜いてきた確かさと言うのでしょうか。精神の内側から支えられた強さは、縁起の善しあしには動じないようです。

挿絵

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